大企業の経理体験談。人気の経理も酷かった!?

大企業の経理体験談。人気の経理も酷かった!?

経理の仕事その1.え?まさか?書類がなくなったことを私の責任にされた

 

私は高校で簿記の資格をとりましたので高校を卒業後は、大手の企業の本社の経理の仕事をしてきました。

 

そこでの仕事は兎に角時間に追われる毎日でしたので、会社と家の往復みたいな感じの生活でした。

 

特にうちは父子家庭でしなので、夕飯の買い物や用意も私がやっていましたので、家族の中で1番忙しいのは自分だと思っていたほどでした。
残業も多かったので私には自分の時間というものは、日曜日くらいしかありませんでした。

 

そんな中、同期の知り合いを紹介してもらって付き合って結婚することになりその会社を辞めることができました。

 

でも結婚しても旦那に働いてくれと言われて派遣社員になったのでした。

 

その派遣の仕事も経理の仕事が多かったですし、経験上経理の仕事はそつなくこなすことができました。

 

でも大きな食品会社の経理部門に派遣されたときは、派遣社員が多いので驚きました。

 

派遣社員でも凄く偉そうにしている女性がいましたが、その人に嫌われているなと感じていました。

 

ある日その人の仕事を手伝っていましたが、「あるはずの書類がないんだけど、あなたが失くしたのよ」と言われてビックリしたことがありました。そのときは派遣の契約期間が残っていましたが、凄く辞めたいと思いました。

 

書類がなくなったことを全く関与していない私の責任にされたので困ったのでした。

 

 

経理の仕事その2.サービス残業の多さに、体調を崩して会社を辞めました。

 

建築関係の会社で、私は経理を担当していました。平素は入出金や売掛買掛の処理、そして月末が近づくと、建築工事の売上の処理が加わるのですが、この処理に毎月、二時、三時まで追われていました。

 

実はこの処理、翌月で売上すべきものを無理矢理前月で計上し、翌月にまた戻す、いわゆる粉飾を繰り返したものだと後に知りました。

 

全く実益のない業務に、真夜中過ぎまで費やされ、月三十時間を超える残業代は一切支払われず、タクシーチケットだけ貰って帰宅し、また翌朝8時半に出勤する、という生活を三年ほど送り、三十歳を目前に、その会社を退職しました。

 

その後、数ケ月休んだ後、飲食関係のお店でアルバイトをしていたところ、退職した会社の下請会社の社長が偶然やってきて、ちょうど経理を募集しているとのことで、そちらでお世話になり、今に至っています。

 

以前に比べて、仕事の内容も給料もぐっと減りはしましたが、簿記や社会労務士など、経理に関係する様々な資格も取る事ができ、社歴は前の会社をとうに超えてしまいました。

 

結局、私が退職して一年経たない頃、倒産してしまいましたが、そこでの上司や同僚には、とても恵まれてはいたので、今では、経験値として、お酒の席などで、時々披露させてもらっています。

 

 

経理の仕事その3.計算の仕事ができないことがきっかけで辞めたいと思うように

 

小売業界で販売の仕事をしていました。最初の店長はいい人で何の問題もなく働いていました。

 

しかし店長が変わってしまいました。新しい店長は休みがちになり、店長がやってた仕事をぜんぶ私たち販売員にふりわけられるようになしました。

 

その中にはレジ清算という仕事もありました。私は致命的にそのお金を数える仕事ができませんでした。

 

また明日もレジ清算しなければならないと思うと緊張して夜眠れなくなる日々が続きました。

 

私がのろのろとレジ清算をしていると、以前から気があわなかった男性社員がじっと私の仕事をみていて、何だかんだと言ってきます。

 

私はますますできなくなるの悪循環でした。低賃金で働いていましたので、もっとましな仕事があるのではないかと思うようになりました。以前の店長の時はこんな仕事しなくて良かったのにと思うとますます理不尽に感じられるようになってきました。

 

そんな時、店自体が潰れるのではないかという閉店の噂が回ってきました。

 

こんな未来がない仕事は辞めてしまいたいという気持ちは強くなるばかりでした。

 

しかし、辞めたらまた新しい仕事が見つかるのか、また仕事を一から覚えるのかと思うと、辞めるふんぎりもつきませんでした。

 

たしかに店長やら男の社員やら嫌な人はいましたが、それ以外の人間関係は大変よく、一人や二人嫌な人がいるからで辞めていたら身はもたないだろうという気もしました。

 

しかしある日、嫌な社員から些細なことを怒鳴られて、自分の中で何かがぶちきれてもう辞めてやると思い、辞表を出してしまいました。

 

はやまったと今では思いますが、あの時は耐えられませんでした。