仕事でうつ病に!精神的に限界を迎えた体験談まとめ。
仕事でうつ病に!精神的に限界を迎えた体験談まとめ。
その1.新卒でファーストフード店に。働き過ぎで精神的にも肉体的にも限界だった
新卒でファーストフード店に入社した時のことです。内定後にアルバイト採用で、入社前の半年前から実務研修をかねて働いていました。
まだ大学生だったため、他のアルバイトさん達との交流をはかり、お店に慣れるためという名目だったのですが、最初から結構厳しかったです。
その厳しさも「いづれ社員になるなら、これぐらいこなさないとアルバイトに舐められる」という、上司の思いやりだったのか、スパルタでした。毎日怒られ、「ダメ」と言われ続け、接客業なのに能面のような顔でお店に立っていました。
アルバイト試用期間中は680円くらいで働き、掃除や在庫の棚卸はサービス残業でした。アルバイトの日はだいたい毎回です。
本採用になってからは、「できないのは甘え」「努力が足りない」「自分が23の時はもっとよくやっていた」「ダメすぎる」と毎日のように言われ、勤務時間も朝5時半から夜の23時近くまで働いていました。
入社後2月くらいは休みも週に2日もらっていましたが、その後は10日間、14日間休みがないのもザラでした。
直属の上司2名は「一か月休んでない」や「うちに帰らず、シンクで頭洗う」などと言っており、シフトの休みについては文句は言えませんでした。
それでも何とか入社半年間、色んな仕事を遅いと言われつつもこなし、次の配属先が決まるまで超過勤務で頑張りました。次の配属先ではそれ以上に辛く「仕事を辞めたい」と、毎日のように思っていました。
新しい配属先では、全店舗と同じ男性2名が上司でした。店長は年配で、気に入らないことや失敗するたびに「お前、バカ!」と毎回大声で怒鳴られました。
新しい店舗での業務は勝手が違ったので、ミスしてはいけないと質問すると「お前は何でそれで社員なんだよ?バイトの方がまだ使えるぞ。自分で考えてやれ」と言われ、質問できなくなりました。
もう一人の先輩社員にも「俺、パス。知らない。関係ないから」と言われ、完全に仕事で行き詰ってしまいました。
それで古株のアルバイトの人たちに聞きながら、何とか業務をこなしていると、地域で一番偉いマネージャーがたまたま店舗に来ていた時、「お前は!何バイトから言われてんだ!ちゃんと仕切れ!社員だろうが!」と言われ、思わず涙が出てしまいました。
その後、店へのクレーム対応や他の支店への応援、外部注文の営業、発注など時間がかかるもの(通常社員がサービス残業等でこなすもの)ばかりの業務内容が多くなり、体調も少しずつおかしくなりました。
通勤の電車で涙が止まらず、何度か電車に飛び込むことも考えました。「自分が無能だから」「自分がダメだから」と繰り返し思いました。
幸い、自分は実家住まいだったので家族も一緒に済んでおり、付き合っている相手もいたので、自殺は踏みとどまれました。
病院では「欝病」と診断され、電話で上司に休養を申し出ました。すると「馬鹿野郎!勝手に休んでんじゃねえ。お前のせいで迷惑してんだからな!明日会社にこい」と怒鳴られ、次の日病院の診断書を提出し、再度休養をお願いしました。
「鬱病だ?病院が儲けようとして、こんなもん書いてんだよ!お前は良いカモだ!バカ!」と言われ、仕事をやめようと思いました。
その後半年間休養をもらったのちに、退職届を上司命令で書かされ、退職しました。
その2.肉体的にも精神的にもキツかったあの頃
私は大学を卒業したあと生命保険会社に就職し、社会人としてのキャリアをスタートさせました。
会社に入って4年目、26才の頃だったと思います。部署が変わり、業務が変わりました。担当する業務は査定です。保険金や給付金の請求内容を精査し、支払い可能かどうか、可能であればいくら支払うのかを決定します。
業務を行ううえで、特にキツイと感じたことが2つありました。
ひとつは勤務時間です。
5時前に起き、始発の電車に乗り、6時頃には業務を開始します。
夜は終電近くまで会社に残るので、帰宅すると日付が変わっている、なんてことはしょっちゅうです。土日のどちらかも出社していましたし、昼飯を食べずに業務を続けることもありました。
勤務体勢が見直されるまでの2年間、起きて、会社に行って、帰って寝る、そんな生活でした。
もうひとつは、苦情です。
生命保険業界は過去に不払い問題を起こしており、人によっては保険会社に対し強い不信感を抱いています。
保険会社からお金が支払われないと、「わざと払わない」「詐欺だ」といった苦情を受けるのです。
生命保険業界が過去に行ったことを考えると、そう言われるのもしょうがないと頭では理解していましたが、「正しく仕事をしているのになぜ怒られるのか」「俺は何のために仕事をしているのか」そんなことを思い心身ともに疲れきってしまいました。
この頃は「もう仕事を辞めよう。明日会社に行ったら、上司に伝えよう」そんなことばかり考えていました。
疲れているのですぐ眠れるのですが、1時間もすると仕事のことが気になって起きてしまいます。
頭も体も十分に休めないまま、気力を振り絞って通勤していました。
その3.片道2時間通勤&鬼のような電話対応&孤立無援な職場で精神科に通院
私は新卒後、某トランクルームの事務職として働いていました。主な仕事内容はヘルプデスク主体の電話対応と、伝票の出力です。
自分で事務職に志願していましたが、続けるうちに段々嫌になってきました。というのも、その職場は片道2時間もかかるというえらい体力勝負だったのがひとつです。
大学まで1時間半だったので、イケるだろうと思いましたが、電車とバスに乗りっぱなしの1時間半と乗り換えで1キロ近く競歩移動する2時間は大違いでした。
最初は定期代が出て乗り放題じゃんと思ってワクワクしましたが、数ヶ月経てばウンザリとしか思えなくなっていました。
また、電話を取る頻度が高すぎたことも辞めたい一因でした。1日に電話を取る回数は、40回は優にあったと思われます。新人が私1人しかいなかったので、皆私が取るものと思ってこちらが忙しくしている時でも非協力的なのは精神的に堪えました。
更に嫌だったのが職場関係です。
私だけが非正規社員だったし、年齢層も平均45歳くらいと比較的高めでした。仕事の合間には雑談するような曰く「アットホーム」な職場でしたが、職場には金を稼ぎに行く場所と割り切っている私にはそういった空気が合いませんでした。
協調性がないと別室指導されてからは無理矢理にでも絡むようにしましたが、本来ならば正反対の性格なので苦痛でしかありませんでした。
それでも他に働く宛はなかったし、大学まで出してもらった親に言うのも申し訳なくて精神科に通院しつつも仕事は続けていました。
そんな時付き合っていた恋人から結婚しようと言われたので、やっと仕事を辞める正当な口実ができたと思いました。
言い難いことでしたが、さも不可抗力のように所長や社員に言うと、残念ながらも結婚を喜んでくれました。働いている時は紆余曲折ありましたが、最終的には後を濁さない退職の仕方になったのでよかったです。