とにかく労働時間が多いブラック企業の体験談。サービス残業は当たり前!?

とにかく労働時間が多いブラック企業の体験談。サービス残業は当たり前!?

その1.残業が毎日23時までの会社で働いてました

 

会社は一応定時が17時と決まっているのですが、必ず残業があるのです。

 

その残業も23時頃まで掛かるので、会社を辞めてしまう人が続出する有り様でした。私は責任のある部署にいたので、なかなかやめる事は出来なかったので我慢していました。

 

ところが、この残業の流れでは家に帰り風呂に入るだけで眠ってしまいます。プライベートな事も出来ず、0時過ぎに帰宅しても何もできないのです。

 

半年はこの流れでしたが、やはり上司も辞めてしまい部下も5人は辞めました。

 

半年が経過した時に、社長と専務に相談をしましたが却下されてしまいました。

 

当然、私も会社を辞める方向で検討していたのですが巧みに昇給で釣られてしまうのです。

 

いくらお金が上がったとしても、日々の残業の苦痛からは解放されないので苦しくなりました。そこで、身体を壊してしまう同僚と相談をして同じ日に辞表を提出する事になったのです。

 

まずは、給料明細を見て残業が殆ど反映されてない事を知りました。

 

それを労働基準局に訴えて、それが審査されている最中に辞表を提出したのです。そうしないと何だかんだと理由を作られてしまう為に、敢えて無理して辞表の提出をしました。

 

会社側は仕方なく受理をして晴れて会社を辞めました。

 

しかし、その後は過労との診断で2ヶ月の療養をしたのです。

 

 

その2.ひどい時は14時間労働。楽しそうでかわいいパン屋さんのはずが・・・

 

女です。20代前半の頃の話です。

 

はじめは、パート社員で入社して2年ほど経って社員にならないかと言われ流されるまま社員になりました。

 

正直、なりたくなかったのですが半ば強制的といったところでしょうか。

 

パートの時から、ここはおかしいぞ・・・とは思っていました。8時間労働で、休憩は30分なのに1時間休憩したことになっている。タイムカードではなかったので、サービス残業は当たり前。

 

当初パートで入って1週間なのに、パンの販売とある程度の製造も覚えないといけない。メモする暇もなく、覚えていなかったら店長から「こんなことも覚えてないの?」と、怒られあきられる始末です。

 

そして・・・1週間で、なぜか次の新人の指導をしなくてはいけない。自分自身も、ほとんど覚えていなかったのに、偉そうに教えなくてはいけない事に、申し訳なく感じていました。働く人数もギリギリで毎日へとへとでした。

 

人が足りてないため「辞めます」と言っても却下されるばかりでした。

 

新しい人が入らず、店長は半年で5~6人は変わってました(辞めた方が、大半ですが・・・)。当時、私はパートのまま責任者という形に自然となりました。そこから半年ぐらいで社員にならざるおえませんでした。

 

社員になっても中身は変わらずです。休憩は30分だったのが取れない時の方が多く、休日も1ヶ月ない時もありました。労働時間も増えるばかりでした。

 

毎日、8時間労働のはずが12~14時間労働で、休みも週1あるかないか・・・月4あったかな・・・という感じでした。それも月8で休んだことになっていました。

 

しかも、当時免許がなかったのですが、免許を取るように促され、気付けば初心者マークを付け1時間以上かかる他店舗の応援も行かされて・・・

 

あまりの忙しさに、辞めたいと言う事さえも考えられなくなっていました。

 

結局、辞めれたのはお店が閉店が決まった時でした・・・。

 

パン屋さんは可愛くて、楽しいイメージだったのですが、真逆の店でした。

 

他の会社のパン屋さんは、待遇も違うとは思いますが、もう2度と働きたくないです。

 

 

その3.ブラックバイト。学生時代、塾講師の残業が半端なく体調を崩しました。

 

私がブラックだと思ったところは、塾の講師をしていた時でした。その時、もう少し調べてからアルバイトをするところを決めるべきであると思った事でした。

 

そこは、自宅からも近いということもあって、大学の資金を稼ぐために決めたところだったのです。

 

ところが、そこでは残業時間が半端なく多く、その残業をしても残業とみなされない雰囲気があり、残業代を請求することができませんでした。

 

しかし、残業をしないと、テキスト等をつくることもできないし、本当に追い詰められていたのです。

 

子供たちに迷惑をかける事はできないと思って、我慢をして残業をするしかありませんでした。

 

そんな時、大学と塾の仕事でほとほと疲れ果てて、ついに熱を出してしまい、動く事ができなくなったのです。

 

そのときは、本当にこのままの生活を続けていたら、倒れてしまうと思ったので、なんといわれようと、やめることを決意したのでした。

 

塾長からは、相当責任感がないとか言われたのですが、その時に思い切ってやめて良かったと思っています。

 

あのまま続けていたら、もっと体を壊していたと思うし、大学も留年をしていたと感じたりしています。その後は、バイトについて真剣に考えて、決めるべきだと考えるようになりました。

 

その4.アパレル営業。面接では週休2日のはずが、実際は月2日だけ。

 

転職情報誌で見つけた仕事に応募して、アパレル会社の営業の仕事を始めたのが、今からちょうど10年前ですから、30歳の頃です。

 

この会社に入社する前には、職人系の仕事をしてたのですが、どんどん受注が減って、給料未払いも出てきたので、将来を考えると心配になり、安定した仕事に就こうと考えたのです。

 

そこで見つけたのがアパレル会社での営業職です。待遇面で決めたのもあります。

 

給料はそんなに高くなかったですが、営業職でも週休2日で長期休暇も年に3度は取得できると記載されていたので、旅行が趣味の私にはちょうど良かったのです。

 

入社してから3ケ月間は、試用期間で朝8時30分から夜6時までの勤務時間でしたし、休みも週休2日で、これなら給料は安いが、自分の趣味を思う存分楽しめると喜んでいたのは、結局のところ研修期間だけです。

 

研修期間が終わると上司から「研修期間が終了したので、しばらくは仕事を本格的に覚えてもらうから残業や休日出勤も出てくるかしばらく我慢して欲しい」と言われてのです。

 

アパレル業界では新人ですから、最初は残業や休日出勤もしかたがないと考えていたのです。

 

しかし、半年経とうが全く改善されないのです。残業は当たり前で、毎日、夜11時まで働く、朝は8時前には出社です。

 

加えて、休日出勤もしてましたので、ゆっくり休める日など全くなかったです。

 

途中からわかったのですが、私が入社する前に2名が退職していたそうです。

 

それで私が補充されたのですが、辞めた2名は休みが全く取れないからという理由だったそうです。

 

それを聞いてから、これでは私も休日が取れないのは嫌だと思い、上司に、2ケ月前には旅行の計画を立てて、確実に休めるように伝えたのです。

 

しかしながら、上司は、「お前が休んだら誰が代わりをやるんだ」と怒鳴られる始末です。周りの社員も同じように全く休んでいないので、私も無理矢理に休むことも出来ず、入社してから1年経って休日数を計算すると、30日にもならなかったのです。

 

これで給料がたくさん頂ければまだマシですが、安月給で働くだけ働かされる羽目です。

 

こんな会社ですから、社員の入れ替わりも激しくて、私も「早く辞めたい」と思わずにはいられなくなったのです。

 

最終的には、1年半ほど働いて辞めたのです。