異業種へ転職できた体験談まとめ24選
異業種へ転職できた体験談まとめ24選
- 体験談その1.居酒屋店員から倉庫業務へ転職
- 体験談その2.パティシエからペットフード製造へ
- 体験談その3.保険会社の事業部長から飲食チェーンの社長へ転職
- 体験談その4.消費者金融の督促業務から医療機関の事務に転職
- 体験談その5.アパレルの企画営業を辞めてシェフに転職
- 体験談その6.寝具の訪問販売営業からパティシエへ転職
- 体験談その7.投資用のマンションの営業から携帯の販売員に
- 体験談その8.機械設計から清掃への転職
- 体験談その9.化粧品メーカーから飲食チェーンへの転職
- 体験談その10.プログラマー・SEから物流の事務へ転職
- 体験談その11.SEから不動産賃貸業の営業に転職をして大きなやりがいを感じることが出来ています
- 体験談その12.アパレル販売員からパソコンのヘルプデスクへ
- 体験談その13.通信業界の一般事務から海運業界の貿易事務に転職しました。
- 体験談その14.事務から製造の派遣に転職
- 体験談その15.30代男性で事務未経験を諦めていませんか?小売業から事務へ転職
- 体験談その16.念願の事務職へ転職が成功しました。スーパー(小売)から営業事務へ
- 体験談その17.スーパーから不動産営業へ。実際に転職してみたら、案外道が開けてくるとわかりました。
- 体験談その18.百貨店の販売員から営業事務へ転職。
- 体験談その19.自営業の酒販売から社会保険労務士事務所に転職。
- 体験談その20.25歳の時にアパレル販売員から派遣→正社員登用へ。
- 体験談その21.30歳目前の思い切った転職。営業から事務(労務)へ。
- 体験談その22.ザ男社会と、ザ女社会を経験した私。鉄鋼業の事務から介護職へ。
- 体験談その23.フライトアテンダントからエステ経営者に転職
- 体験談その24.ディーラーの営業から旅行会社の営業へ転職しました
体験談その1.居酒屋店員から倉庫業務へ転職
私は10年前まで居酒屋の店員をしていました。 キッチンの仕込み、調理からホール業務とほぼすべての業務を習得し、順調に飲食店の経験を積んできました。 しかし、あるときに精神的な悩みから体調を崩して、転職を決意しました。
思い切って選んだ先は物流業。倉庫で部品のチェックや棚卸をする業務です。 選んだ理由はここなら人間関係に悩まされることなく自分の仕事に集中できると思ったからです。 転職活動や面接は飲食店をやっていた経験を活かし、大きな声で相手の目を見て受け答えした結果、すんなり採用されました。 特に苦労したということはありませんでした。 物流業が人手不足の業界だったことも関係しているのかもしれません。 あまりに順調に転職できたので意気込んでいた私は拍子抜けしました。
転職して驚いたこと、というよりは戸惑ったことですが、 飲食店というのは明確な「上司」というものが存在せず(店長も同じように働くため上下関係が強くない)ため、 初めての「上司」というものに対してどう接していいのか戸惑いました。 他にも飲食店ではほとんど使うことがなかったパソコンや、経理・帳簿関係など、いままで触ったこともなかったスキルを教わりました。
転職して良かったかどうかですが、良かったと思います。 飲食業はスキル的に潰しが効かず、飲食業→飲食業という転職になってしまうことが多いのですが、若いうちに異業種に転職したことにより 普通の会社で必要なスキルを習得できたため、どこの会社でもやっていけるという自信が持てるようになりました。
異業種の転職は厳しいとは思いますが、幅広いスキルを習得し、どんな状況になっても対応ができる幅を持った人材になれるチャンスだと思います。 絶対に何が何でも最初に決めた業種で生きる!と決めている方以外は一度異業種への転職をお勧めします。
体験談その2.パティシエからペットフード製造へ
高校卒業後、地元の大手パン・和洋菓子製造企業に就職しました。
そこでは洋菓子を専門に製造しており、会社は主に機械がメインとなるライン作業にて行われていましたが、 私の担当は機械での製造が困難なウェディングケーキや特殊なデザートを手作業にて作るのが仕事でしたので、職人を目指す方にはピッタリな部署となっていました。
仕事自体は残業も無く比較的楽しめる職場でしたが、休日が月8回で平日のみしか取得する事が出来ませんでした。
勤務は朝早くから夜までの約14時間労働でした。
この世界では当たり前となっていますが、残業代は一切支給される事無く月収20万円となっていました。
入社5年目には職場で事務をしていた彼女とも結婚する事も出来、1年後には待望の長男も産まれ幸せな家庭を築く事が出来ました。
その頃仕事においても管理職になっており月収は25万円にもなっていましたが、仕事時間は以前よりも長くなっていました。
以前は朝早くから行い19時には終えれていましたが、部下の管理等の事務作業も必須となっており帰宅時間は夜中近くになる事もしばしばでした。
嫁さんはその職場で働いていた為、内状は把握しており仕事に関しては一切口出ししませんでしたが、唯一の悩みは私が子供に全くと言っていい程構ってあげられない事でした。
私自身もまだ小さいから良いけど大きくなっても父として一緒に遊んだり出来ない事に悩んでいました。その頃から少しづつ求人検索を行っていました。
子供も幼稚園へ入園し、行われる園内行事が土日にしか開催されず私は参加する事が全く出来なくなりました。
特に忙しい週末なんかに休みを取る事はほぼ無理な状態でした。 嫁さんも初めは仕事だから仕方ないと言ってくれていましたが、次第に「休み取って参加してよ」と言う様になってきました。
行事が近づく度に言われ喧嘩になる事もしばしばありました。私自身も休みを取れたらと思っており、週末に休みが取れる仕事を探し始めました。
休みの日に職安に通い4か月程経った頃ある求人を発見しました。「犬のおやつ製造」・休日は土日祝・残業なしと記載されていました。ずっと洋菓子を作ってきた経験が生かせられるのではと思い応募しました。するとすぐ面接を行ってくれると言う事で伺いました。先方も私の経歴が大きな戦力になると判断してくれ内定が決まりました。
話の内容を聞くとパンやケーキを作る工程と同じだと解り、この会社に入りたいと思いました。3日程して合格の通知を頂きました。
給与はこれまでとほぼ変わらない待遇で迎え入れて頂きました。そして翌月から働き始めました。
正式にペットフード業界へ転職したからはやはり以前の技術や経験が大きく生かす事が出来ました。
記載通りの休みで残業も全く無い為、子供との時間を過ごす事が出来ております。
休日も土日祝、お盆、GWなどたくさん取れるようになり子供の行事の参加や旅行にも行く事が出来、家族は喜んでくれています。
体験談その3.保険会社の事業部長から飲食チェーンの社長へ転職
転勤するのが嫌で、保険会社の通販部門の事業部長から、地元に本社のある飲食チェーンの社長に転職しました。
私は自分で調理もしませんし、学生の頃のアルバイトも家庭教師やデパートでの販売員でしたので、 飲食店でのキッチンの仕事やホールでの接客などについては全く知見も経験もありません。
ですので、転職した当初は、できる限り店舗に行って、どういうメカニズムで飲食店が動いているのか、ということを把握することに費やしました。
また今から料理の経験やホールの接客の経験を積むわけにはいかないので、そこは正直開き直って「お客様の目線」で店舗の状況を見るようにしています。
職種が変わっても前職での経験を生かせる場面が多かった。
しかし、前職で経験したことが、意外なくらい行かせる部分もあることも事実です。
まずマーケティングです。飲食チェーンの根幹の一つはマーケティングでした。 料理という商品をいかに開発するか、それにいくらの値段をつけるか、店舗という販売の場をいかに魅力的にするか、 集客のための宣伝はどうするか、などこれらが完全に前職で身につけたノウハウ、がいかせる部分です。
さらにもう一つは、私は生命保険会社で通販部門に移る前には、保険外交員の集団をマネジメントすることと彼女たちを教育する仕事をしていました。
外食も実は、アルバイトというほとんど学生で素人の集団をいかに教育し、マネジメントしていくか、ということが重要な柱でした。 ですので、集団に本社のOJTを徹底させ、技術を身につけさせ、レベルアップさせる、モチベーションを高める、などの目的はまっやく一緒で、 したがって手法もほとんど同じものを使えました。
そういう意味で全く畑の違う異業種に移りましたが、意外なくらい前職の経験を生かせています。
体験談その4.消費者金融の督促業務から医療機関の事務に転職
新卒で二年間務めた会社を辞め、次の仕事をフリーペーパーで探していました。自分の希望条件とピッタリだった上お給料が他の会社よりお高くこれはと思い面接の申し込みをしました。
それは消費者金融でした。特に何の資格も持っていない私はそのお給料の高さに飛びつきました。
金融業の事務職という認識はあったものの、後々社会問題化する悪名高い消費者金融業をよく理解していなかった私は結局その会社に正社員として就職しました。
当時はまだ20歳そこそこで会社の言われるがままに貸付業務、督促電話などをしていました。そこでは接客の方法や経理などを教育されました。
特に、営業トークや接客を教育されました。井のなかの蛙大海を知らずと言いますが、その会社の中にいるとそれが良い事なんだと信じ込んでいましたが、 ふとあるひテレビで社会問題化しつつある高利貸しのニュースを目にしました。
いままで当たり前のように営業トークでお金を借りてもらい高い利息に対しても会社から教わった理屈をお客様に説明し、 返済が遅れた方には契約を盾に請求をしていたことに初めて不信感を感じたのです。
気が付くのが遅いと言えばそうなのですが、今までは当たり前のことだと思っていたのです。 私のやっていることは人の為に役立っているのか? それに気が付いた私はスグに退職届を出し、その仕事を辞めました。
そんな経験から次の仕事は人の役立つ仕事をしたいとまず第一に考えました。
転職した医療機関は病んでいる人の役に立ちたいという純粋な気持から就職しました。 お給料や勤務条件は以前の仕事に比べたら大変にはなりましたが、不安な顔をして病院を訪れた患者さんが、笑顔で病院を出ていくのを見たりお礼を言われると、 この仕事に携わることができて本当に良かったと実感することが出来ます。
価値観は人ぞれぞれですが、転職してよかったと思っています。
体験談その5.アパレルの企画営業を辞めてシェフに転職
長い間衣料メーカーの営業企画をやっていたのですが、将来の目標を考えた時に今ひとつイメージできるものがなくて転職を決心しました。
一応は前職でそれなりの実績もあるのですが、アパレル業界自体が段々とコスト重視だけの発想になりつつあるように感じ、思うようなモノ作りとは程遠くなってしまったような気がしていました。
おそらくメイドインジャパンのような発想でやっていけるのは限られた企業のみで、現実的にはファストファッションに象徴されるように低価格で品質が良いもの、つまりアイデアは二の次の時代になってしまったように感じたのです。
ある程度の年齢になったら独立してと思っていましたが、実は以前一度試みて資金が想像以上に必要なことは重々承知です。 おそらくよほどのスポンサーでもいない限りすぐ行き詰まってしまうだろうと考えるようになり、少し時間を取って方向転換を考えてみました。
モノ作りは続けたい、しかしそれがファッションに限定していなくてもいいのではと思ったのですね。
もともと食べることに興味があったのと学生時代に飲食店でアルバイトしたことがあったのを思い出し、その道に挑戦してみようと思ったのがきっかけでした。
30代後半での異業種転職。将来を見据えて厳しいオーナーシェフの店に転職。
転職するのは少し手こずりました。 年齢が40前後でキャリアのない業界、アルバイトしていた頃とはわけが違いました。 何とか粘って転職には成功したのですがおよそ半年近く見つかるまで掛かりました。
決まったのは腕が良くて有名店で修行経験があるオーナーシェフの店、指導が厳しいのであまり人が続かないのが幸いしました。 遅れての転職ですから空きがないとなかなか入って行けないのですね。
人が辞めない店は若手か実績重視するかのどちらかがほとんどですから異業種の転職だと不利ですね。
たださすがに入った頃は毎日ハードワークでちょっと疲れました。 それまではどちらかというと知恵勝負の世界、しかし飲食はまず最低限の体力がないと続きません。
最初の数週間は帰り道の歩行がおぼつかないほど疲労でフラフラしていました。 半年ぐらいしてやっと慣れましたが技術面で着いて行けずに辛い思いをしましたね。
なんとか3年が過ぎましたがまだまだ修行の身、これがまだまだ続くと思うと気の長い話ですね。
あと数年やった時にどれだけ進歩していられるか、そして独立しようと思った時にどんな状況になっているか、転職して良かったのかどうかがわかるのはずっと先の話です。
体験談その6.寝具の訪問販売営業からパティシエへ転職
高校卒業間近になっても進路は決まっておらず、無職のまま卒業をしました。 特に就きたい職業も無かったのですが、両親から「働かないのか」と言われ職安へ行きました。
資格も何も無い私でしたが、年齢・経験不問の募集を見つけたので応募しました。
そこは布団の訪問販売をしている会社でした。後日面接に行くとすぐに採用が決まり翌日から勤務となりました。
三人一組となり、県内外へ行き布団の訪問販売を行いました。
当時訪問販売による悪質業者が多発して居る事もあって玄関で「布団屋です」と言うだけで門前払いをされたり、ヒドい時は悪質業者では無いのに怪しまれ通報された事もありました。
社員の多くは月のノルマを毎月達成出来ずにいたので社長からの叱責に耐えられず辞めていく事が当たり前となっており、私自身も限界だなと思いました。
働きながら次の仕事を探しましたが、全く見つからずにおり結局1年半程で退職しました。
次の宛もないまま職安に通っていると自宅近くのケーキ屋でアルバイト募集が出ていました。
仕事内容は職人さんの補助や清掃と掲載してあり簡単だなと勝手な思い込みだけで応募し面接の結果、採用となりました。
仕事初めの日、お店に行くと2人の職人さんがすでに忙しく働いていました。 簡単な自己紹介が終わるとすぐ洗い物を命じられました。
しかし、適当に洗ってしまった私は職人さんに怒られてしまいました。「アルバイトだからって適当な事するな。そんなんだったら帰れ」と言われました。
初日になんでこんな事言われなきゃと思いながらまた仕事を続けているとさっき怒った職人さんが私にケーキをくれました。 「ウチの店のお勧め、食べてみな」。それを食べた時美味しいと思いました。私の中で全てが変わりました。 あんなに一生懸命頑張って気持ちを込めて作っているから美味しくなるんだと思いました。
翌日から私は雑用を必死で真面目に取り組みました。半年位たった時、社長に呼び出されました。「正社員にならないか。 職人になってみないか」と言われました。そしてすぐ返事をし、職人へのスタートとなりました。
昨日までとは違いただの雑用係ではなく職人の見習いとなったので、仕事はよりキツくなりました。
でも日々の仕事が全て勉強となり、ケーキ作りにハマっていきました。それから5年程かけて店の仕事を一通り出来る様になった頃、不況にて店は潰れてしまいました。
しかし、ケーキ作りしか生きる道は無いと思い違う店にてまた働き始めました。
昔はやりたい事も見つからずにただその日その日を過ごしていましたが、パティシエになってからは毎日が充実しています。
体験談その7.投資用のマンションの営業から携帯の販売員に
転職前は投資用のマンションの営業をしていました。
その前も別の仕事をしていたのですが不動産営業に興味があり転職しました。 ただ投資用マンション営業は予想以上に大変でした。
一番は休みが少ない事で成績が悪いと休日出勤が当たり前で、月に2日程度の休みでした。 しかも勤務時間も朝の9時から夜の11時までと本当にハードで新婚だった私たちは本当に辛い思いをしました。
そんな生活が続けられなかったので1年程でやめてしまいました。 給料は1年目でも年収で600万位貰えました。
転職後の携帯販売業ですがマンション営業をやめた3日後に面接に行きました。
契約社員から正社員登用のある会社だったのとなかなか売れないマンション営業が辛かったので簡単に売れる携帯販売という仕事がしてみたくなったのが転職を決めた理由です。
給料は正社員でも年収300万行けば良い位でかなり少ないですが、人間らしい生活がしたかったというのが一番の理由です。
共働きなのでその位の収入でもやっていけます。
転職してみての感想は毎日楽しい事です。
確かに給料面では大きく下がりましたが毎日ほのぼのと携帯を販売する仕事は私の性格に本当にあっていたようです。
毎日楽しくて仕方ありません。
休みも月に8・9日は確実にありますし、勤務時間も残業しても転職前に比べればたかが知れているので本当に楽です。
家で妻と一緒に過ごせる時間がこんなに幸せだとは思いませんでした。
一年後には正社員にもなれました。
勤務して2年で店長になり給料も年収で350万まで上がりました。
役職が上がるにつれて責任は増えて来ますが楽しい職場で楽しい仲間と無理ないペースで働ける幸せはお金では買えません。
ただ今が幸せに感じれるのも転職前の地獄のような1年間のおかげだと思うので人生に無駄なことはないのだと改めて実感しています。
今の会社は携帯販売以外にも事業をしているので今後も収入と仕事量を調整しながら頑張りたいと思います。
体験談その8.機械設計から清掃への転職
自分は大学でロボット工学を学び、卒業後新卒で機械設計の仕事に就きました。仕事の内容は、クライアントからFA(ファクトリーオートメーション)機器の注文が入ると、クライアントの要望する仕事が出来るロボットを1から設計するというもので、私はそのロボット設計の見習いとしてスタートし、4年ほど勤めました。
4年勤めた後退社。退社を決めた理由としては、一緒に働いている先輩方が不健康で、人生を幸せに生きているように見える方が少なく見えたので、自分も将来こんな風になってしまうのかなと思うと不安になってしまったからです。
実際、設計の仕事はパソコンに向かっての座り仕事が大半で、納期が厳しい仕事ばかりなので残業も多く、自分の時間というのを本当に持てなかった人が多かったと思います。自分もその一人でした。
そこで、今度はもっと体を動かしながら、残業の少ない仕事にしようと考えました。そのときハローワークで清掃業の会社の求人があったので、応募し、合格することが出来ました。
応募したときは「清掃業ってなんだか楽そう。適度に体も動かせそう」という安易な考えしか持っていませんでした。しかし、清掃の分野に飛び込んでみて分かったのですが、清掃という仕事は、バリバリの体育会系の世界で、仕事が時間内に終わっていなかったら罵詈雑言を浴びせられ、場合によっては先輩から蹴りが飛んでくるような現場でした。
自分は前述したとおり、学生時代から理系分野で育ってきた人間であり、体育会系とは無縁であったので、そのギャップには驚きました。これは私の感覚ですが、理系の人は失敗をたしなめるときには、どこがいけなかったのか、理詰めで教えてくれる人が多かったと思います。
しかし体育会系の人たちは、失敗したら「バカヤロウ」が飛んできて、精神論(例:気合が足りないからだ等)で何とかさせようとする人が多いと思います。自分は理詰めで教えてもらうほうが納得できていたので、体育会系の教え方は納得が出来ないことがたくさんありました。
仕事は大きく分けて理系と文系と体育会系に分かれると思います。その中でも理系から体育会系はまったくの別世界であると思います。
仕事に対する考え方や進め方など、何から何まで価値観が合いませんでした。
今後転職を考えている人は、転職後の仕事が何系なのかをよくチェックしておかないと、仕事が長続きしないと思います。実際自分もそのギャップに疲れ、あまり長続きはしませんでした。
体験談その9.化粧品メーカーから飲食チェーンへの転職
人材開発から店舗管理へ
35歳の男性で、以前は化粧品会社の人材開発部でマネージャーをしていましたが、そこから飲食チェーンの店舗管理のマネージャーに転職しました。
以前の仕事をもう少し詳しく書きますと、化粧品の販売には美容部員等存在があります。大体はメーカーから化粧品店や百貨店に派遣して、カウンセリングなどを行って化粧品を販売する仕事です。私は彼女たちの採用、教育の仕事をマネジメントしていました。
そして転職後の仕事は、飲食チェーンで店舗を管理する役職としてスーパーバイザーがいますが、そのスーパーバイザーの管理と彼らを通じての店長やアルバイトの管理、マネジメントをすることです。
なぜ転職先にこのような異業種を選んだかというと、正直言ってほとんど考えていませんでした。
ただ、前職の上司がかなりパワハラで、そのままいたら精神を病んでしまうと思い、人事部などには訴えましたが、その上司が社長との係累のある人間で人事としても手が出せない、ということでした。それであれば自分から逃げるしかないと思い、職種、業種は考えず、ただ今までの自分の経歴を評価してくれて、処遇レベルが落ちない仕事、ということで探した時に、飲食チェーンの店舗管理のマネージャーの仕事を転職エージェントから紹介されたので、面接を受けたところ採用された、という経緯です。
受かってから逆に、全く異業種の中でできるだろうか、という不安を感じましたが、入ってみると、今まで自分のしていた仕事と共通点が非常にあって、むしろ思ったよりすんなりと仕事には入れた、という感じがしています。
というのも、飲食チェーンの店舗管理は、究極は社員とアルバイトの人材開発が仕事になるので、その点が前職のノウハウ、考えがそのまま使えた、というわけだからです。例えば、接客スキルを高めること、技術を磨くところなど、本当にそのまま同じです。
ということで、後先考えずに転職をしましたが、今ではなじんで思い切り仕事をしています。
体験談その10.プログラマー・SEから物流の事務へ転職
転職前の仕事はIT関連でプログラマー、SEで金融関連やその他のシステム開発の仕事をしていました。 当時は今ほど開発環境も良い状態ではなく世間的には頭脳労働の人気職というイメージがあったみたいですが、 実際にはかなり体力を使う仕事で朝から深夜までほぼ始発と終電の繰り返しでした。
結婚をして子供が生まれることになったのでマイホームを考えて引っ越しをしようと思った時期に頃から この仕事を続けるのは困難になりそうな感じだったので異業種への転職を考えました。 退職時にはプロジェクトの遅れもあり少々時期が遅れましたが円満退社になりました。
とにかく同じ職種以外という希望で探していたら営業倉庫やテナント関連の業種の会社の面接で人事担当の方に強く入社を勧めてもらったので、 家からの通勤時間や給与面ととにかく家族との時間も大事にしたかったので残業ができるだけ少ない事を希望しました。
家族をとても大事に考えてくれる会社である事や、勤務先になる営業倉庫の職場の雰囲気も良かったので就職を決めました。
残業はそこそこあったものの通勤時間も短くなっていましたし、 何よりも未経験の営業事務と言っても、比較的仕事内容を覚えるのには苦労をしなかったので苦痛に感じる事はなかったのですが、 驚いたことと言えば仕事の内容というよりも社員や関連会社の人との関係で驚く場面が多かったです。
倉庫で働く現場の人はやはりIT関連の人間と比べるとやはりガテン系というのか、 良い意味でも悪い意味でもおおざっぱなためにはじめは戸惑いましたが、接し方をきちんとすればとても良い人たちだとわかりましたし、 倉庫という仕事柄、運送業者の人の出入りも多くなりトラック運転手とも仲良くなるにつれて、 この業界の人たちはまっすぐな人が本当に多いと思い比較的楽しんで仕事をしていました。
今、自分で考えてみると本来はIT企業よりも営業倉庫のような人たちと一緒に仕事をする方が自分にはあっていたのだと思います。 仕事をする上で業務内容も大事かもしれませんが、何よりも職場や関連会社などの人たちとの人間関係が何よりも大切です。
外から見ただけではわかりませんが、自分が本当に向いている仕事って意外に自分が関係ないと思っているような業種なのかもしれません。
体験談その11.SEから不動産賃貸業の営業に転職をして大きなやりがいを感じることが出来ています
私は以前IT企業のSEとして3年間働いていました。その後不動産賃貸業の営業の仕事に転職をしたのです。
まず、なぜ私が転職をしたのかというと、理由が2つあります。
1つは労働環境です。SEの仕事はやりがいはありましたし、面白いと感じる事もありましたが、 もともと体力があまり無い私にとって労働時間があまりにも長く過酷だったのです。 残業代はきちんと出ていましたが、それでも労働環境がより良い仕事に転職をしたいと思ったのです。
2つ目の理由は以前から不動産業に興味があり、いつかはこの仕事をしてみたいと思っていたからです。 不動産業の中でも賃貸業は多くのお客様と触れ合う機会があり、やりがいを感じられると思ったので選びました。
転職の際は大手の転職サイトが提供しているサービスを利用し、コンサルタントの方と相談しながら転職活動を進めていきました。 そこで履歴書の修正や模擬面接なども行えるので、転職活動の大きな助けになりました。
その結果、転職活動を開始してから3ヵ月で自分の希望する不動産賃貸業の営業の仕事に正社員として転職をすることが出来たのです。
私が転職をしたのは不動産賃貸業の中でも大手の会社で、私は都内の支店に配属をされました。 新しい職場の社員さんは皆さんとても優しくて、新人の私に丁寧に仕事を教えてくれたり、アドバイスをしてくださったので人間関係はとても良いです。
残業も多少はありますが、以前のSEの時ほどではないので特に問題にはなりません。
そして、何よりお客さんを接客して新しい住まいの提案をすることが非常に楽しいのです。 自分が提案した物件を気に入ってくれて、契約をしてくれた時の喜びは今まで味わったことのないもので、やりがいも非常に感じることが出来ています。
体験談その12.アパレル販売員からパソコンのヘルプデスクへ
大学を卒業後、すぐにアパレル関係の仕事に着きました。最初はアルバイト店員と一緒に洋服の販売からスタートしました。まずは言葉使いの研修や服の組み合わせ、接客方法などの研修を受け、ファッションビルの中の店舗へ配属になりました。最初、慣れない言葉使いに苦労しました。例えば、「すみません」とは店員どうしでもお店の中では言ってはならず、「申し訳ございません」と言わなければなりませんでした。しかし、その後転職するIT企業でこの言葉使いの徹底が役に立ちました。
アパレルの販売はとにかく売り上げの数字を逐一チェックされます。その事がプレッシャーになり、転職を希望するようになりました。
その当時はIT企業と言うと、とにかく右肩上がりのイメージがありました。そして、パソコンは人よりも少しだけ出来る自信があったので、企業の面接を受けました。私は運良く1社だけの応募で採用が決まりました。面接では意外とパソコンのスキルの詳細を聞かれませんでした。それよりも人柄やコミュニケーション能力、話し方などを採用の決め手としていたと思います。
その企業では、その会社の正社員として雇われますが、派遣社員のように勤務地が別会社となる事が多くありました。採用されると1か月ほどのパソコンの研修がありましたが、人によっては1か月経たずに勤務地が決まる人もいました。
その1か月の間にはワードやエクセルなどの使い方の他にも、パソコンインストラクターの研修やマニュアルを作成する研修などがありました。
結局、私はとある会社のヘルプデスクの仕事を任されました。電話での言葉使いに苦労している同期もいましたが、私はアパレルの仕事経験から言葉使いに苦労はしませんでした。全く違う職種でも、一度、接客応対の経験があればそれは生かされるのだとつくづく思いました。
体験談その13.通信業界の一般事務から海運業界の貿易事務に転職しました。
30歳の時、英語を使用した専門的な仕事に就くため、大手通信会社の一般事務から海運会社の貿易事務へと転職しました。
貿易事務は他の職種より経験者を求める傾向があるので、未経験者OKの案件でもなかなか書類選考が通りませんでした。また正社員の求人が少なく、その中でも未経験者OKのものは更に少なかったので、まずは未経験者OKの派遣社員として職を探しました。しかし未経験者Okといっても、経験者が応募してくると書類すら通らず、なかなか顔合わせまで辿りつけません。書類を出すところまで行かず、派遣会社の社内選考でも落ち続けました。TOEIC700点を持っていましたが、未経験というだけで何度も門前払いにされました。
諦めずに応募し続けると共に、ハローワークで見つけた職業訓練に応募しました。倍率は3倍以上でしたが無事に入校でき、三ヶ月ほど給付金を貰いながら貿易と英語の講座に通いました。並行して週に一度自費で英会話にも通っていました。苦労の末、貿易実務検定のC級とTOEIC725点を取ることができました。 訓練校で紹介してもらった貿易専門の派遣会社に登録し、一か月後に外資系の海運会社に貿易事務として就業することができました。配属されたのは輸入課の書類作成チームです。転職活動を初めて八カ月目のことです。
無事に入社はできましたが、外資系のため以前の会社より自主性が求められました。英語は苦手ではありませんでしたが、仕事の書類はほとんど英語で、メールも8割が英語です。そして周囲の皆さんが話す業界用語が意味不明で、わからない言葉が出てくるたびに必死に調べました。訓練校で一通り貿易の基礎は習っていましたが、実際に就業してみると、わからないことの連続でした。
一番驚いたのは、裏紙が禁止ではなかったことです。以前の通信会社は個人情報取り扱いにうるさく、裏紙は禁止、誤送信をしたら始末書、メールでファイルを送る時は暗号化を徹底していました。しかし転職先の海運会社は、メールにも平気で電話番号を書きますし、誤送信したら普通に謝ってすませていました。そして取引先も忙しいので、お互い誤送信しても気にしません。貿易という仕事がスピード勝負なので、細かいことに拘っていると仕事が終えられないからです。
体験談その14.事務から製造の派遣に転職
私は、正社員で事務の仕事をしていました。でも、給料が安くて生活がきつかったです。 残業しても、上司からの命令でない残業は給料が出ませんでした。 自分が仕事が出来ないから残るのだから残業代は、払わない方針らしいです。 私は、きちんと残業代を払ってくれて給料がいい仕事を探す事にしました。
きちんと残業代を払ってくれるかわからない正社員よりも、働いた分はきちんとくれる派遣社員を選びました。 派遣社員は、工場の求人が多くてびっくりしました。
しかし、人と話したりするのが、前の仕事で嫌になっていたので工場で話さずに仕事をしたいと思いました。 部品の検査の仕事があったので応募してみると、あっさりと工場見学まで出来ました。 働き出すのもいつからでもいいと言われたのですぐに働く事にしました。
工場に行き、仕事内容の指導を受けました。そして、すぐに仕事になりました。 でも、単純作業だったのですぐに覚えられました。 部品が溶けていないか異物はないか不良を探す仕事でした。 サイズは、手のひらに乗るくらいのものばかりで軽くて疲れたりはしませんでした。
1番良かったのは、1人でする検査なので自分のペースで、出来るという事です。 椅子に座って、1人で黙々と作業をするので必要以上に人と話す事なく仕事が出来てあまりストレスになりませんでした。 検査しながら考え事をしたりと楽しく作業出来ました。
残業がある時は、事前に何時間残れるかを聞いてくれていたので、自分の都合に合わせて残業が出来ました。 前の会社より、勤怠管理がしっかりしていて、驚きました。
給料も事務の仕事の1.5倍くらいになり嬉しかったです。 きちんと残業代も、支払ってもらえるのですごくやる気がでます。 働いた分をきちんと支払ってくれる派遣社員になって良かったと思っています。
体験談その15.30代男性で事務未経験を諦めていませんか?小売業から事務へ転職
30歳を目前に結婚を考えるようになり、コンビニでの働き方に不安を感じるようになった。 慢性的な人材不足で、日中や夜中も働かなければならず、生活がまったく安定しなかった。
ついに限界がきて、転職を決意。こんな働き方をしていたからか、転職先は事務職が真っ先に頭に浮かんだ。 事務は安定して働け、コンビニでも事務処理の仕事は私に向いていたので、想像するだけでわくわくした。
そんな時、友人が人材派遣会社の紹介予定派遣というもの教えてくれたのだ。その制度は、正社員になることを 前提に一定期間、派遣社員として勤めるというものである。
試しに派遣会社に登録を済ませ、求人をいくつか紹介された。その中に営業事務があったので、 応募をして面接をパスすることができたのだ。就業先は男の事務員がほしかったらしく、 面接でも評価してくれたのだった。
就業初日、コンビニでも事務処理をやっており、すこしは自信があったが、業務がはじまった途端ぽっきりと 折れてしまった。先輩方の処理能力の早さや知識の豊富さに愕然とした。私ときたらデータの入力速度はおろか、 用語を覚えるだけでも頭が痛くなり、夜眠りについても何度も目を覚ます始末。
しかし、1ヶ月が経つと仕事の流れをすこしだが理解することができるようになった。幸い、会社の方々はみんな気さくで 優しく、先輩の手厚い指導もあり人間関係に悩むことはないようだ。
もし転職を本気で考えているなら、こんなやり方もある。すぐに転職できなくても、今から情報を集めてみよう。 あなたが輝けるフィールドはきっとあるはず。
体験談その16.念願の事務職へ転職が成功しました。スーパー(小売)から営業事務へ
元々事務職希望でしたが、大学卒業後すぐには希望する職種に付けず地方のスーパーに就職しました。 そのスーパーでは、レジなどの販売担当から始まり、経験を積むにつれて青果担当、惣菜担当、鮮魚担当、生肉担当と順に部署が異動になり、 最終的に店舗をまたいで本部の管理職に就くという感じで、新入社員の私も販売からスタートしました。
頑張った分は結果にきちんと反映されていましたので仕事は特に辛いとは感じませんでしたが、そこでは管理職以外の方は殆ど女性でしたし、 お客様からの苦情の対応なども接客業が初めての人間には戸惑うことも多く、人間関係の方が気を使って大変でした。
販売を担当して2年ほど経った頃に青果への異動の話をいただいたのですが、探していた条件に合う事務職の求人を見つけたのを機に、 印刷会社の事務職へ転職しました。
面接で事務職への熱意を伝え、資格もある事で無事採用いただきましたが、スーパーでは仕事にも慣れ、自分の居場所が確立でき始めた頃でしたし、 異動の話も出ていたので辞めるときは言い出しにくかったです。
それを除けば転職はスムーズに行きました。
今思い出しても滅多にない幸運だったと思います。転職後は基本的には事務職で電話対応や入力業務でしたが、 営業部として年に数回、イベントなどで営業する機会がありました。
接客業は経験していたものの、直接お客様に商品やサービスを売り込む営業の仕事は、とても技術と経験、話術の巧みさが必要なことで、 転職後に一番苦労したのはそれを身につける事でした。苦労もありましたが、好きな職種に就けた事が励みになり、乗り越えられたと思います。
体験談その17.スーパーから不動産営業へ。実際に転職してみたら、案外道が開けてくるとわかりました。
大学卒業後、地元のスーパーマーケットに正社員として入社して、部署のチーフをしていました。 正社員が各部署に数名しかおらず、その全員がチーフが副チーフとして、アルバイトさんやパートさんの管理に携わる業務をする仕組みだったからです。 しかし、5年務めたところで私は、その仕事を退職しました。
当時まだ20代だったこともあり、次の仕事へは思ったよりも簡単に就くことができました。 転職で私が選んだ企業は、不動産販売業でした。 しかし、最初から不動産業界に進みたいという希望があったわけでありませんでした。
前職では、商品数や、アルバイト・パートさんの数が多く、事細かな定めのあるマニュアルを用いて管理することが求められていました。 その分無駄も多く、自分の思いなどがあったら仕事が勤まらないだろうと私は感じていました。 なので、次に仕事に就くのなら、自分ならどうするだろうと考えることを求められる仕事がしたかったのです。
そして朝刊の折り込みチラシで、その会社の営業社員募集をたまたま見つけて、面接に応募したのがきっかけです。
就職が決まりちょっとドキドキしたことは、毎朝、スーツで出勤することでした。 前職では、本当に休日と大して変わらないラフな格好で出社し、会社で制服に着替えていましたので、とても衝撃的でした。
営業成績というものもはやり、前職にはないものでした。 お客様とどのように接していくのか、どうすればお客様の求めることを提案できるのか、契約できるのか、そのやり方にマニュアルなんて一つもありませんでした。 常識的に、公正に、お客様とご契約を結ぶこと、お客様からの問い合わせや苦情をしっかりと解決できること、これがやるべきことだとしたら、そのやり方については誰も何も言わないのです。
私は圧倒的な知識不足と不手際で、お客様に何度も迷惑をかけてしまいました。 取引先の同業の方を、ものすごく怒らせてしまったときは、さすがにやめちゃおうかな…とまで考えました。
しかし私は、ここでやっていくしかないんだと、腹を括りました。 すると、そこからなんとなく道が開けてきたのでした。 先輩の方々も親身になって上手くいくやり方を教えてくれましたし、宅建(宅地建物取引主任者)の資格の勉強も応援してくれました。 現在では宅建も取り、何とかこれからも続けていける気がしています。
体験談その18.百貨店の販売員から営業事務へ転職。
百貨店での販売員を6年ほど勤めていました。
お仕事自体は大好きでしたが、給与面が厳しくて年齢的にも20代半ばでしたので転職を検討していました。
販売員ではパソコンの作業がほとんど無かったこともあり、転職するならパソコンの作業がある仕事に転職したいと考えていました。 転職サイトを見て、自分の希望の事務職を探しました。
その中で、「テレフォンオペレーター兼営業事務」の募集がありました。 この仕事だと、お電話での対応は百貨店で培った言葉遣いを活かせて尚且つパソコンの仕事も出来るので即応募しました。
応募数は、正社員での募集で給与面も条件が良かった事もあり5倍の倍率でした。 転職するなら悔いのないように取り組みたいと考えていたので、私なりの考えや仕事の取り組み方などを面接時に面接官とお話しました。 それが良かったのか、採用して頂きました。
転職は1社目での採用だったので、私の場合は苦労はなかったです。 新しい職種での仕事で苦労したのは、やはりパソコンの作業でした。 打ち込む速度が遅くて、思うように資料の作成が進みませんでした。ただ、面接時にパソコンの仕事をしたいけど今はほとんどパソコンを触れていない旨を申告していたので、
職場では暖かく接して頂きました。入社して半月ほどは悪戦苦闘の日々で、大変でした。 半月ほど経過してからは仕事の流れもつかめましたので、パソコンの仕事も難なくこなせるようになりました。
転職して月給6万円ほどあがりましたし、新たに挑戦したパソコンでのお仕事もとてもやりがいがあり、転職して良かったと心から思います。
体験談その19.自営業の酒販売から社会保険労務士事務所に転職。
私は以前は酒販売の仕事を手伝っていたのですが、実家の自営業も上手くいっていない事もあって 他に転職したいと思うようになりました。
それで何気なく資格がたくさん載っている本を見つけてその中に社会保険労務士という資格があって それがそこそこ高い難易度の資格である事に気づいてこれならなんとか転職もできると思ってこの資格取得に 向けて勉強を始めました。
それで思った以上に苦労した末になんとか合格できたのですが、私が住んでいた地域が田舎だった事もあって 社会保険労務士の求人もなくどうしたら良いのか考えた結果私が取った行動は近場の事務所に雇ってもらえないか 聞いて回るというものでした。
この方法も本当に一か八かでたったのですが運よく私を雇ってくれる事務所が見つかりました。 それはもちろん社会保険労務士事務所だったのですが、その時は経験ゼロの私でも雇ってくれて本当に 良かったと思いました。
なぜなら、思ったよりも苦労しないで異業種転職に成功したからでした。 でも、いざ転職に成功して感じたのは思った以上に異業種転職は難しいと思いました。
なぜなら、それまで私は販売の仕事ばかりやっていて簡単な事務仕事さえもやった事がなかったからです。 そんな状態でいくら社会保険労務士の資格を取得したと言ってもいきなり専門職で仕事ができるわけもないので かなり苦労しました。
ですから、これから異業種転職を考えている人は本当に自分がそれまでやった事がない職種でもやっていけるのか 考えてから決断される事をおすすめします。
そうしないと畑違いの職種で働こうと思っても無理な事もあるからです。
体験談その20.25歳の時にアパレル販売員から派遣→正社員登用へ。
私は23歳から25歳までアパレル販売員として働いていました。 まず、大学を卒業してから中学校で保健体育の非常勤講師として働いていた経歴もあるのですが、長時間直射日光に当たることを医師に止められてしまったため、 「若いうちは自分のやりたい事に挑戦しよう!」と、憧れていたアパレル業界に挑戦したのです。
仕事内容は主に販売・接客・商品管理・検品・ディスプレイ・レイアウトなどです。また、本社への報告用に日報や週報の作成もしていました。 好きな洋服に囲まれての仕事はとても楽しかったのですが、大変だったことや残念だったこと・不満等ももちろんあります。 売上の個人ノルマがあることや、給料が安いこと、従業員が女性のみの少人数だったため人間関係にも悩んだりもしました。
2年ほど働いて、土日休みの事務職に転職することを決心しました。 事務職を選んだ理由としては、特に専門的な知識や技術・資格等を持っていなかったためです。
絶対に正社員が良いというこだわりは無かったため、まず派遣会社に登録をしました。 初めから正社員を希望して就職活動をしてもすぐに就職先が見つかると思わなかったので派遣の道に進んだのですが、すんなりと就業先が決まったので、その選択は正解だったと思います。
派遣会社に登録し、面談・スキルチェックをしてその日のうちに複数の会社の求人案内をしてもらうことが出来ました。 その中から1番興味のある会社を選んで、10日程度で就業先が決まりました。
業界は変わりましたが、驚いたことは特にありませんでした。 前職とは違い土日休みになり、肉体労働もほぼないので身体も楽になり、従業員の規模も違い男性が多いため女性特有の人間関係に悩むこともなくなりました。
給料も1.5倍ほどになったので、結果的に転職して良かったです。 働き始めて半年ほどで正社員登用の話ももらうことが出来ました。
私自身と知人達の経験談も踏まえ、事務職は未経験可の会社も多くあると思いますし、ある程度のPCスキルがあれば入社して困ることも少ないように思います。 初めから正社員にこだわっていない人は、派遣会社の方に相談すると正社員登用がある会社を紹介してもらう事も出来ると思うので、派遣社員からというのも一つの手だと思います。
体験談その21.30歳目前の思い切った転職。営業から事務(労務)へ。
私は現在30歳の内勤事務職のサラリーマン男性です。2年前までは、法令書籍の出版社の営業として勤務していました。歩合給制度の会社でやればやった分だけ、給料が増える為やりがいがあり自分自身満足はしていたのですが、景気が悪くなり思うように売れなくなってきた事と、お酒の付き合い等も面倒になり漠然と転職を考えるようになりました。仕事柄弁護士や税理士といった専門家と話す事が多く、専門的な仕事に憧れを持つようにもなってきました。しかし、結婚して子供も2人いる為、仕事を辞めて勉強するほどの余裕は無い為、仕事をしながら資格取得を目指すことにしました。そうなると、営業をしながらでは何かと無理がある為、資格取得を目指しやすい職種に転職することにしました。
以前から、人事労務に興味があった為、社労士の資格取得を目指すことにしました。そうなると労務系の内勤事務職がベストなので、業種はあまり考えず、とにかく労務系の転職先を探しました。ただ、やはり未経験では壁が厚く、面接を受けれるところさえも限られていました。なんとか物流会社の労務事務職から内定をもらうことができ今の会社に就職することになりました。
転職後は全てが未経験であり知識も全く無い為かなり戸惑いました。事務の仕事はほとんどないような営業だった為、あまりの事務仕事の量に目が回りそうでした。しかし、上司や同僚は未経験の私を忙しいのにも関わらず、一から指導をして下さり、何も困る事無く仕事をすることができています。今はまだ、資格の為の勉強までは出来ていませんが、日々の職務が資格取得に役立つことばかりなのでまずは仕事を覚えるところから始めるつもりです。
体験談その22.ザ男社会と、ザ女社会を経験した私。鉄鋼業の事務から介護職へ。
学校を卒業して、最初に就職した会社は、ザ男社会の都内にある鉄鋼会社でした。その昔、鉄は国家なりと言われるくらい、戦後の日本の成長と産業を支えてきた業界でした。ですので会社のおそらく90%以上は男だったと思います。そんな業界に5年ほどおりまして、主人の転勤のため地方の田舎に引っ越しました。
引っ越し前は、人事の事務の仕事をしていましたので、引き続きその関係の仕事をしたいと思っていましたが、そういう仕事はありませんでした。それに引き換え、多かったのは看護師とか介護関係の仕事でした。看護師や、介護士の資格はないけれど、介護の助手ならできそうです。前職の人事の仕事だって、その会社に勤務する人のための仕事。だったら介護だって、人のための仕事ではないかと思い、病院の介護助手の仕事に応募しました。
採用の面接ではやはり、異業種である事について問われました。そこで私は、鉄鋼会社といえども、していた仕事は人事で介護と同じ直接人の役に立つ仕事であるので是非やってみたいということを強調しました。この理由が功をそうしたのか、すんなりと採用になり、仕事がスタートしました。
さて、男性医師3名と事務部長1人以外は全員女性という女社会へ転職した私。以前の職場ならば、女の子はいつもニコニコして、お茶を入れ、データ入力などの単調で同じことの繰り返しの仕事を、厄介なセクハラなど受けながら淡々とこなしていくみたいな会社でした。
ですが、こちらは一転、女性優位で、群れをなすのを好み、共感同情を求めるのが得意な女性社会の病院です。まるで女子高の時に戻ったようでそれはそれで大変でした。そこで高校の時を思い出し、ノリは同じで対応は大人というスタイルで乗り越え、順調に過ごしました。
そして、以前はずっと座りっぱなしでパソコンに向かい、肩が凝ったり、腰が痛かったり、痔になってしまったり(笑)と不健康でしたが、今度は、立ち仕事だったので、以前よりフットワークが軽くなり、毎日体を動かしていたので、体重が減りダイエットにもなりました。また、勤務先の通勤手段が自分で車を運転して行くしかなかったので、ペーパードライバー講習へ行き、再び車の運転もできるようになりました。
私が異業種でも転職に成功し仕事がうまくいったのは、何事もポジティブにとらえ、自分の肥やしにしてやるゾと思ったからだと思います。そして、やらないで後悔するよりやって後悔しようというスタンスで臨んでいったのも良かったかと思っています。
体験談その23.フライトアテンダントからエステ経営者に転職
22歳からフライトアテンダントの仕事を10年続けましたが、勤務が不規則なことと、勤務内容が非常にハード、 そのわりには給料も低かったので思い切って以前から興味のあったエステサロンの経営をすることに決めました。
フライトアテンダントは女性の憧れであったり、男性の結婚相手として人気の職種だと思われています。 しかし実際はハードな仕事内容に体調を崩したり、女性社会になじめなかったり、また雇用形態が非正規社員だと給料が思うようにはよくないこともあります。
私もそのうちの一人で、30歳を超えた頃これは一生続けられる職業ではないと判断し、思い切ってエステ業界に飛び込むことに決めました。 自営という意味では大変なことも多々ありますが、仕事時間は決まっていて規則正しい生活ができる、という点ではこの仕事の方が長く続けられると思います。 また指名が増加すればそれに応じて給料も増加するシステムも取り入れました。女性の誰しもが、最近では男性からも人気のある美容業界なので将来性があります。
また口コミによる評判が物を言う業界なので、顧客が集まれば自然とその輪が広がっていきます。日本はこれからますます高齢化社会を迎えるにあたり、経済的に余裕のある年配の女性がエステ業界の主なターゲットになります。今後はエステだけでなくメイクやヘア業界にも進出したいと考えています。今後ますます需要の増える美容業界で頑張ることは大変意味のあることだと信じています。フライトアテンダントの時代にもてなかった自分のための時間や体調管理を含め、これからは自分への投資をしていきたいと思っています。
体験談その24.ディーラーの営業から旅行会社の営業へ転職しました
大学を卒業してディーラーに就職しました。就職活動を早く終わらせたかったのと企業名だけで決めました。しかし、入ってみると大変でした。元々、車は興味がないので研修を受けてもなかなか頭に入りませんでした。基本お店の中に居て営業ではなかったのですがノルマは普通にあり、車の知識がないのでなかなか車を売ることもできず苦しい日々を過ごしていました。
1年は頑張ったのですが、毎日が苦痛でやはり自分が興味があることで仕事がしたいと思うようになり、旅が好きで学生時代に旅行関係の仕事に憧れを持っていたので旅行会社に転職しました。たまたま転職したいと思っていた時に求人があったのでラッキーでした。新卒で1年しかたっていなかったのですんなりその業界に入れたと思います。
ディーラーで接客には慣れていたのですが、旅行会社はパソコンがメイン。専用端末がいくつもあって、その操作を覚えるのが大変でした。メモ帳がメモでいっぱいでした。しかし好きなことなので、覚えることが多くても辛いと思うことはありませんでしたし、頭にも入っていきました。自然と”もっと知識を深めたい”と思いました。
今は結婚して子供ができたため、残念ながら退職してしまったのですが旅行業界に15年も在籍しました。辞めても仕事で得た知識は普段の生活で役に立っています。転職してよかったと思います。
やっぱり好きなことを仕事でしていると楽しいし仕事が身につくのがとても速いです。仕事に対するモチベーションも違います。もし転職を考えているのであれば、ぜひ自分が興味がある職種にチャレンジしてほしいと思います。