飲食業はブラック!?飲食業を辞めた人の体験談

飲食業はブラック!?飲食業を辞めた人の体験談

その1.某回転寿司チェーンがブラック企業過ぎて辞めました

 

私がまだ20代前半の頃、回転寿司チェーン店で働いておりました。

 

その回転寿司はCMでもお馴染の企業ですが、働いてみてとてもブラック企業だということが分かりました。

 

とにかく酷いのがその店の店長でした。新人で入った私は大卒、店長は専門学校卒業で大卒の新人には手厳しいので有名だったみたいです。

 

そんなことは知らずに入ったお店、店長の傲慢な態度に驚きました。

 

就業規則では朝は開店する2時間前の出勤、私が勤めている店は11時から開店のお店だったので全員が9時に出勤することになっていましたが、私を含め大卒の新人2人だけは7時出勤、理由は「大卒は将来の幹部候補だから朝早くきて仕事するのは当たり前」ということ。
しかし実態は酷く、本来なら9時から配送されている荷物の仕分けを始めみんなで仕込みをする。

 

私たち二人は朝7時から出勤して、一番大変な仕分けをみんなが来る前(主に店長が来る前)に終わらせること、つまりこの早い出勤は店長が楽をしたいだけのための出勤でした。

 

早い出勤ですが残業代は無し、残業代が無い分みんなより早く帰れるのではなく、全ての作業が終わった後、午後9時頃に帰るのが日課でした。

 

残業代はサービス残業、新人で迷惑かけているからこれは研修と思って残業代を請求することは恥ずかしいことだよと言われたこともあります。

 

他にもこの回転寿司の運営や衛生面、そして店長の傲慢さは数々ありました。

 

そのあまりにも酷い対応に入社して数カ月で辞めようと何度も思いました。

 

結果的に辞めましたがやはり杜撰な企業だったのか最近では業績も落ち込んでいるみたいです。

 

こんな酷い企業はいつか大きな問題になる、そう確信しています。

 

 

その2.バイキングのキッチン業務は地獄並みにきつい

 

2年程前から28歳で飲食店で仕事をしています。

 

バイキングレストランのキッチンで働いていますが、とにかく忙しくて毎日嫌になります。

 

料理の提供が遅れるとすぐにクレームがくるし、料理長にも怒られ、ホールの方にも文句を言われます。同時に複数の料理を作りながら仕込みもしなければならないのは想像以上に辛いです。

 

面接の時にピーク時のキッチンは戦場ですよ。と、店長に言われましたが、その時は大袈裟だなと思いましたが、いざ、働いてみたら、その意味が分かりました。

 

入った当時は右も左も分からずとにかく必死でした。頑張っても思うようにならず、1度仕事中泣いてしまった事もあります。

 

2年たった今は仕事的には慣れたもののスタッフの入れ替わりが激しく教えても教えても知らないうちに辞めていき、愚痴をこぼせるような相手もいないので、毎日孤独です。

 

売上がない時期は人件費が削られスタッフの数が減り1人1人の仕事量が増え、毎日くたくたでした。

 

帰ってもまた明日も仕事かと思うと全然気が休まらず、睡眠もあまり取れませんでした。

 

忙しいと早くしなければ間に合わないと焦ってしまうので包丁で怪我をしたり、火傷をしたりと怪我ばかりです。

 

この仕事は料理が大好きな人じゃないと厳しいなと思います。

 

その3.調理場の仕事をしている時パワハラにあっていました

 

私は25歳の時、ホテルで調理の仕事をしていました。

 

昔から料理を作ることが好きでしたし、調理師免許ももっていたので、正社員として入社しました。

 

調理の仕事は厳しいということはわかっていたつもりですが、やはり私の考えが甘かったと今では思っています。

 

その職場の先輩で、30代の男性がいました。

 

私の指導係りに任命され、殆ど分からないことはその方に教えてもらっていました。

 

最初は私を育てる為に厳しく指導してくれているのかと思っていました。

 

しかしそうではなかったのです。

 

ある時からその方が私の顔を見て、他の人に何か話しにいき、クスクス笑っていました。

 

そういったことか何回かあり、ある日私がいないと思ってその方と他の人が話していた内容を聞いてしまいました。

 

「野菜切ってる時が一番○○(私のことです)の顔気持ち悪い」「不細工すぎて笑える」

 

今まで陰口をたたかれていた内容がその時わかりました。

 

辛くて涙が出そうになりましたが、その後も何とか耐えて仕事を続けました。

 

ある時仕事が忙しく、7時間程トイレに行けないことがありました。

 

しかし我慢の限界に達し、トイレに行くことを伝えたら

 

「仕事は出来ない上、不細工な奴がトイレに何て行っていいと思っているのか!」

 

と怒鳴られました。

 

周りの人達は笑っているだけで一緒に楽しんでいました。

 

確かに私は仕事の覚えも悪いですし、スピードも遅いので、言われても仕方ない所はありました。

 

けど容姿のことは関係ないと思いますし、トイレに行けないというのも納得がいきませんでした。

 

結局その日は10時間以上経ってようやくトイレに行くことが出来ました。

 

その日以降、トイレにも行けなくなり、7~8時間いかないでそのまま就業時間をむかえるという日が普通になりました。

 

あまりにも精神的に辛くなり、毎日車にでも轢かれて死んでしまえたらいいのにと思うようになりました。

 

友達に相談したら、その会社だけが全てじゃないし、逃げることも必要だと言ってくれました。

 

その言葉をきっかけに、辞めることに決めました。

 

退職届を出すのも勇気がいりましたが、2週間位で退職することが出来ました。

 

それから5年程経ち、そのホテルは廃業しました。

 

今は全く別の仕事をしていますが、あの時辞めるという決断をして、本当に良かったと思っています。

 

その4.飲食チェーンで最年少店長に。他の人に指導することでストレスに。

 

ある中堅の飲食店チェーンでアルバイトで働いていました。

 

働き始めたのが大学1年生の時で、それから4年間勤め、本社から誘われて、そのまま社員になりました。

 

飲食の仕事はブラックだと言われていますが、自分は接客も好きですし、料理を作るのもだんだん得意になって達成感を感じていたので、多少夜が遅くてもそんなことは全く気になりませんでした。

 

幸い、外食にしては休みがしっかりととれる会社でしたので、既定ではとれる休みの日数そのものは少なかったですが、でも与えられた休みはしっかりととれました。サービス休日出勤などはありませんでした。

 

ですので、全く不満も不安もなく、むしろ楽しく働いていました。

 

しかし、仕事ぶりが本社に認められてしまった。そこからが不幸の始まりでした。

 

入社して1年で店長になれという辞令を受けたのです。

 

若干23歳で、社内で1番若い店長でした。まだ店長という仕事について、社員の延長としてしかとらえていなかったので、その辞令をありがたく受け、ある店舗に店長として赴任しました。

 

それからの日々が私にとっては悪夢でした。

 

まず、アルバイトや年上のパートの人たちを指導しなければならないのですが、どう指導していいのかもわかりませんし、自分が若いことで遠慮気味になって、しっかりと強いことも言えませんでした。

 

また教える内容も、きちんと決まったものがなく、自分で考えなければなりません。

 

その辺の、人を指導する、教育する、叱る、ということが私にとってはとんでもないストレスで、これでうつ気味になりました。

 

それが苦しくて、会社を辞めたいとと強烈に思いました。

 

結局それに耐えられなくなり、半年後にその会社を辞めました。今では、人と接することの少ない工場のラインで働いています。出世の道はありませんが、気楽です。